エミパパのささやき

エミパパのささやき

2003年春に復活した紙敷新田ドッジボール部の元監督のブログです。

毎週大きな声で頑張っている子ども達を応援しつつエミパパがささやきます。

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ご無沙汰しております。ミィです。
このブログの事、ずっと気になっていたのですが、いざ更新しようとするとまとまった文章が書けず…何度も書いては消して…気軽に更新していた小学生の頃の自分を羨ましく思います。
更新していない間もアクセスがあり、皆さんが気にかけてくれていることを嬉しく思っています。
ありがとうございます。
エミパパ家は、皆、元気でやっています。

一先ず、ご挨拶まで…
また更新します。
おはようございます。
エミパパの長女、ミイです。
父 エミパパが12月1日17時57分、急性心筋梗塞により永眠しました。自宅で倒れ、市立病院に搬送され、お医者さんも懸命に心肺蘇生をしてくれていましたが


60歳でした。
定年したエミパパは、家族が家を出るたびに
『いってらっしゃい。気をつけてナ。』
『雨が降るから傘持ってけよ。』
と送り出してくれました。
時には疎ましく思ったこともあったけれど、今はその声が聞きたくてたまらないです。
早いです。
早すぎます。
これからもっと楽しいことがたくさんあったのに。
結婚式だって、未来には孫だって抱いてほしかった。
もっともっと一緒にいたかったのに。
急すぎる出来事に、私たち家族もまだ受け入れることができていません。

ドッジボールのことを話すエミパパの顔は、とても嬉しそうで どこか誇らしげでした。
エミパパにとって、ドッジボール、子どもたち、コーチ陣の仲間の皆さんの存在は、大切で 大好きなものだったと思います。
家族を代表して 深く感謝申し上げます。

通夜等の日程は、てっちゃんさんにお伝えし、ドッジボール関係者の方に流していただけるようお伝えさせていただきました。
急なお知らせとなり、ブログを読んで下さっている皆さんを驚かせてしまい申し訳ありません。
それでは。オヤスミオヤスミオヤスミ。
11月9日ババが骨折したことは書いた。その後ハセピーの提案から、保存治療をしてもらうことにして、五香にある病院に相談した。ここはハセピーが昨年末まで勤務していたところで、保存治療を決断した瞬間から、ハセピーが先生たちに電話で情報を伝えてくれてあり、スムーズに保存治療がほどこされた。これが13日。素人目で見てもレントゲンでは明らかに違っていた。よし、明日からの入院は断ろう。と病院に電話すると、手首の骨折はそれでいいとしても、心臓が悪いことがわかったので、そのために検査入院をしたほうがいい、と説得され14日に入院。整形外科は先生と相談して断ったが、心臓内科の先生から、造影劑によるCT検査をしてカテーテルによる治療を薦められた。15日に検査し、多少の問題はあるがカテーテル治療は可能だし、先生の実績や治療方法を丁寧に説明を受け16日に退院した。この日エミパパは朝、親不知を抜歯し、ママと退院を手伝い、その後、五香の病院へ。ここへはハセピーも付き合ってくれて、スムーズにことが運んだ。スゲーよハセピー。

19日にはエミから結婚式が7月15日に決めたと報告があり、流れの中でも嬉しいことだったし、本当に喜びたい。

ババに戻るが21日には松戸の形成外科で鼻のケガを診てもらい、午後は五香の整形外科へ。ハセピーがいないので、二時間半もかかりレントゲンや治療を受けた。13日に比べると多少ずれているが、問題なく付くでしょう、ということだった。
色々あったが、12月3日にババの入院を控え、少し落ち着けるかな?オヤスミオヤスミオヤスミ。
ババの左手首骨折は全身麻酔して、手術という運びだったのだが、昨日の夕方に別の治療法があると提案があった。提案してきたのは、ミィの彼氏、ハセピー。
ハセピーは柔道整復師という仕事をしていて、こういったことを生業としているらしい。
初めて挨拶に来た時、いい加減に聞いていたわけではないが、全身麻酔の危険性や色々説明を受け、そんな仕事だったんだと関心するとともに、ハセピーの提案を受けることにした。今日受ける診察と治療によって、もしかすると入院も無くなるかも知れない。今日行く病院もハセピーに紹介され、ババの情報もハセピーから病院の先生に連絡してもらった。
麻酔する訳じゃないので痛いらしいが、今までのババの左手の使い方や、色んな情報をミィから聞き、ハセピーの経験から提案してもらったので、今日連れて行く病院で、保存治療をしてくれることを望みたい。オヤスミオヤスミオヤスミ。
昨日ばばが砂利のところで転んだ。
朝、ピンポーンがなってコウジに行ってもらったが、ただ事ではなく、救急車を呼びエミパパも久しぶりに救急車に乗った。鼻の頭を切り、血だらけの顔だったので、出社前のミィが電話してママを呼んだり救急車を呼んだりしてくれた。
エミパパはミィと救急車で新東京病院へ。ママはコウジと自家用車で。
左手首の骨折と、鼻の頭を縫ってもらい、西千葉病院の口腔外科へ。少ない前歯を抜いてもらい、ちょこっと縫ってもらって帰宅となった。
幸いにも足には異常がなく車へは乗り降りできたのだが、一日がつぶれた。ミィも半日、ママも職場から緊急帰宅。今日もこれから病院だし、だるまさんが転んだだけなら遊んでる数人がちょこっと止まるだけで終わるのだが、ババが転ぶと何時間も付き合わなきゃならないという話でした。
エミはラインで、パパとババを間違えて、仕事もしないで家にいると、転んだだけで救急車かい、とあわててくれたようです。オヤスミオヤスミオヤスミ。
秋山駅のそばに最近コーヒー屋が出来たので、さっきママと行って来た。お馴染みのチェーン店ではあるが、昔よく飲んだ喫茶店と遜色はなく、おいしくいただいてきた。新聞の広告で、モーニングのサービスがあるというので、ママが休みの今日行って来たのだが、これまた昔ながらのトーストと茹で卵。最近では家、会社、ファミレスくらいしか飲まないコーヒーを、しかも昔よく飲んだアメリカンを飲んで来た。なんか、すごく若返った気がする朝です。オヤスミオヤスミオヤスミ。
昨日エミパパが呑んでいると、ママが突然「こうやって自然に親戚とか増えていくのかもね」って呟いた。エミの姓は変わったけど、佐賀のほうに親戚が増えたんだよな。しかも、若いふたりに従って行動しただけでさ。
ママって普段は天然なくせに、たまに深いこと言うんだよな。オヤスミオヤスミオヤスミ。            かんコさん、祝電ありがとうございました。
何曜日だったか、エミが婚姻届を持ってきた。証人欄にサインが欲しいというので、ママと一緒にサインをし、実印を押してあげました。
そして今日13時頃ふたりの写真と婚姻届をラインで送ってきて、これから提出してくる、とあった。そして15時前に無事に受理されたとラインがあった。エミパパと違う姓になってしまった。
ちょっぴり寂しいけど、幸せになって欲しいものだ。ちなみにラインは全部大州からで、末永くお願いします、とあった。こちらこそエミをよろしくナ。オヤスミオヤスミオヤスミ。

9月だったと思うけど、コウジが友達と三人で北海道へ行って来た。しかも50ccの原チャリで。原チャリだから高速に乗れない。若いから色んな経験をすることに反対はしたくないけどさ、台風は近づいているときだったし、北海道にいるときにジェイアラートは鳴ったみたいだし、色々旨いものをくいながらの旅だったみたいだけど、最後はバイクを壊して一人で飛行機で帰って来ました。ちょっぴりマヌケな話しのようだけど、これもひとつの思い出だやね。そのバイクの修理が終わったとかで取りに行ったんだけど四時間も経つのに帰ってこない。お前は鉄砲玉か?オヤスミオヤスミオヤスミ。
ここのところエミのことばかり書いていたので、他の子どものことも書いておこう。
浅草での会食のとき、お父さんから「お姉さんより先でいいんですか?」と聞かれたんだけど、「ミィは今まで全部エミの前を歩いてきて、初めてエミが前を歩いてくれている。付いて行くって楽だよね。」と言っていたことを紹介した。姉としてのプレッシャーってあるものなのか?エミパパだって弟の方が先に結婚したけどね。
さて、男の子。昨日はコウジがバイトだったんだけど、天気予報は雨。バイトには原チャリで行っているんだけど、せっかく免許もとったんだし、保険もコウジまでは適用されるようにしてあるのに、車を運転しようとは思わないみたいだ。車の鍵だって10000以上かけて作ってあげたのにさ。まぁ、好きにしろや。
マサシは引っ越しやさんを頑張っていますよ。エミパパから見たらブラックみたいな環境や待遇なんだけど、大した文句も言わず一生懸命働いています。まるで若い頃のエミパパのようにね。ここは見守るしかないやね。オヤスミオヤスミオヤスミ。